- 臨津江 流域의 積石塚과 馬韓
- 臨津江流域の積石塚と馬韓
- ㆍ 저자명
- 김병곤
- ㆍ 간행물명
- 동국사학KCI
- ㆍ 권/호정보
- 2007년|43권 (통권43호)|pp.1-45 (45 pages)
- ㆍ 발행정보
- 동국역사문화연구소|한국
- ㆍ 파일정보
- 정기간행물|KOR| PDF텍스트(5.49MB)
- ㆍ 주제분야
- 교육학
주지하다시피 적석총은 石室封土墳과 더불어 고구려의 주묘제로 외형적 특성과 규모의 거대함, 군집 조영 등으로 인해 일찍부터 학계의 관심을 받았다. 그런데 적석총은 한반도의 중서부인 한강과 임진강 유역에서도 산발적이나마 발견된다. 특히 초기 백제의 도읍지로 여겨지는 風納土城및 夢村土城의 인접지인 석촌동 일대에도 왕릉급으로 생각되는 대형 적석총이 축조되어 있어, 고구려 일파에 의해 건국되었다는 초기 백제사의 해명에 중요한 자료로 간주되어 왔다.
これまでに?掘調査されてきた臨津江流域の積石塚はA.D.1~3世紀代 に築造された。これは多槨式であって、平面?長方形あるいは楕円形の 外形的特?と、祭壇と見られる敷石施設を持っている。またこれは造? 集?の水路圈維持及び固有領域の標示のため、中流地域を中心に一定の 間隔を置いて個別分布している。積石塚に隣接している六?土城をも考 慮してみると、築造集?は百?の北方に位置した馬韓54ヶ?の一員とし て文??界でつい最近その??が認められた臣?沾(沽?活)?や韓那奚な どの小?に比定されると考えられる。 ?ち、その集?は京畿北部地域に位置した馬韓小?として、保守的な 墓制からみる際、臨津江中流地域にある積石塚の造?集?の民族的淵源 は高句麗にあった。しかしながら、漢四郡の設置以後、南下してここに 定着し、南方の馬韓諸?との交流などを通して文化的に同質化された。 その結果、保守的墓制は北方の高句麗式積石塚を維持しているが、一 方、土器文化などは百?的な特?が見られる文化?相が?察された。そ のような接木現?が臨津江流域の政治集?に起きたと思われる。このよ うな?況は漢郡?を媒介とする中?人に臨津江流域の諸?らを馬韓諸? の一員として認識させる結果を生んだと言える。 臨津江流域の政治集?は百?のような民族的淵源を持つ集?として百?と連盟?制を整え、3世紀初は?方郡の岐離?攻?に先頭に立ったりも したものの、3世紀中半以後は徐?に百?の直接的な影響圈に入り、結果 的には『三?史記』に百?の北部と記?されたと思われる。
Ⅰ. 머리말 Ⅱ. 臨津江?漢江 流域의 積石塚 1. 臨津江 流域의 積石塚 2. 漢江 流域의 積石塚 3. 臨津江 流域 積石塚의 平面狀 外形的 特徵 Ⅲ. 臨津江 流域의 積石塚과 馬韓 諸小國 1. 臨津江 流域의 馬韓 小國과 馬韓史의 諸問題 2. 臨津江 流域 積石塚 築造 集團의 性格 Ⅳ. 맺음말